ゲストハウス庵(いおり)大阪 に、スイス人男性が宿泊されました!
ドアを開けて迎え入れる際に、'Ça va?' と私がフランス語で挨拶すると、彼は驚いた表情で「え、フランス語が話せるのか?」とフランス語で言うので、 'Un peu' と返すと、彼はさらに驚いて、もっとフランス語で返してきたので「もうこれ以上はわかりません。」と英語で返しました。😇
チェックイン・フォームに記入してもらいながらいろいろと話しをしていくと、彼はとても英語が上手で、発音も綺麗でした。思わず私は、
「君はとても英語が上手だね。」と言いました。傍から見れば、または、彼からすれば、英語のネイティブスピーカーではないにしろ、ヨーロッパ出身の彼が日本人の私に「英語うまいね。」と言われるのはお門違いという印象を与えそうですが、私はすかさず
「全然、(英語を話すときに)フランス語訛りがないね!」 と加えました。
すると、彼は
「スイスでインターナショナル・スクールに通っていたからね。そこでは全部英語だったんだ。」と教えてくれました。
「あと、日本では英語の先生をしているんだ。」とのことでした。
なるほど。 私がイギリスに住んでいたと話すと、彼もロンドンに住んでいたというので、ロンドンのどこに住んでいたのかと聞くと、サウス・ケンジントンとのこと。
サウス・ケンジントンというと、ロンドン中心部の高級地区です。イギリスのロックバンド、クイーンのボーカルのフレディ・マーキュリーが住んでいた家がある所で、私はフレディの家まで行ったことがあります。👍 とは言っても、家の外壁の周りを歩いただけですが、その外壁には世界中から訪れたファンのメッセージがたくさん書かれていました。まさに、同じくロンドンにあるアビー・ロードの、アビーロード・スタジオの壁に書かれたビートルズ・ファンたちのメッセージのようなものです。
「サウス・ケンジントン!?ロンドンのど真ん中じゃん!?そこに住んでたの!?」と聞くと、彼は
「うん、でも、ハウス・シェアだったから、全然高くなかったよ。」と言って自分で笑います。
そうして彼と話しているうちに、さらに感じたことがあり、それもそのまま彼に伝えました。
「しかし、君の英語はアメリカ英語だね。ヨーロッパの人が話す英語は大体イギリス英語だと思うけど。」と言うと、彼は
「俺が行ったインターナショナル・スクールの先生が、アメリカ人だったんだよ。」とのこと。
さらにさらに気づいたことが、彼は、日本である程度の期間、英語の先生をしている外国人教師に共通する傾向ですが、ゆっくりと、間をおいて英語を話すクセがありました。これは、日本に精通した外国人バックパッカーには見られないことで、やはり日本人に英語を教える立場になってこそ身につくもののようです。それを、私にもしなくてもいいのに、と思いながら聞いていました。☕
以前は大阪に住んでいたそうで、今は岡山在住。
しかし、「週末の岡山は退屈だ。」と彼。
以前私が勤務していた英会話スクールの中四国の本社が岡山にあり、よく会議で岡山市に行っていたことを話すと、彼は
「おお、そうか。君は岡山をどう思う?どう表現する?」と吹っ掛けてきました。
そこで、私が
「そうだねぇ。 'Peaceful(ピースフル)' かな。」と言うと、
「 'Peaceful' か~。確かに良い表現だ。確かに岡山はpeacefulだ。いい言い方をすれば。」と彼。かなり岡山に退屈しているようですね…。
そこで、私はかつて岡山で、退屈とは言わないまでも、街のおとなしい様を目の当たりにした出来事を思い出したので彼に話しました。
ある時、英会話スクールの仕事の研修が数日間あり、そのうちの一日がちょうどセントパトリックデーだったので、その夜、研修のあとで岡山市内のアイリッシュ・パブに繰り出しました。セントパトリックデーはアイルランドのお祭り。アイリッシュ・パブに行けば盛り上がっているだろうと踏んでいました。
そしてたどり着いたアイリッシュ・パブに入って、私は驚きました。
その店はガラガラだったのです…。🍺
スイス人の彼にその話をすると、
「オーストラリアのバーのことか!?」と彼。
言われて、思い出しました。確かに、アイリッシュ・パブではなく、オージー・バーでした。店内の壁に、クーパーズだったかのオーストラリアのビールの大きなポスターが貼ってあったのを思い出しました。
「あそこは、オーストラリア人の男と日本人女性が経営してる店だよ。」と彼。
なんと、お互いに知っている店があったようです。😇
それから、ウェルカムドリンクのワインとともに、岡山や大阪の話、日本社会で働くということ、などの話題で盛り上がりました~🍷

Comments